ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。 その時間にあなたの心は休養しているのだから。
タイトルはユダヤのことわざです。
ども、僕です。
今日はお寺での日常生活をご紹介します。
まずはメインの禅ですね。
こちらが禅道場になります。
何やら独特の重厚感ある雰囲気で、ここに入ると時間が止まっていると言うか、
別次元にいるような錯覚に陥ります。
会話も全然行いません。(暗黙の了解?)
御本尊の文殊菩薩さま。
一休さんになったつもりで、せっせとお掃除。
禅に励むK田君。
煩悩だらけのワタクシ。
ちなみにこちらでは警策(きょうさく:参禅者を叩く棒。文殊菩薩の手とされる)による、「喝!!バシッ!!」というのはありません。
昔オーストラリア人の参禅者(♀)に喝を入れたところ、幼少時代に受けたDVを思い出して泣きじゃくってモメた・・・
というトラブルがあったそう。
彼女曰く、「叩くなら、正面から目を見て、正々堂々やりなさい!!」
と叱られたそうな(爆)
何しに日本に来たのでしょうか・・・
それ以来、警策はぷっつりやめたそうです。(和尚さんもデリケート☆)
堂内での手順ですが、
入口の柱に近い足から入り、合掌・一礼します。
自分の席の前に立ち、席に一礼します。
右回りして、道場に一礼します。
そのまま坐布(ざふ)に腰を下ろし、右回りで坐ります。
背筋を張り、顎を引き、手は法界定印を結びます。
これだけです。あとは止静(始まりの鐘)を待ちます。
外からは虫の声と鹿の鳴き声。川のせせらぎ。
雨の日は雨の音。それ以外は一切聴こえません。
禅の最中、自分の思考は次のようなループでした。
〇無になれ、無になれ、無になれ・・・
→いやいや、無になれって思考してたら無じゃないやん
→宇宙・・・宇宙・・・宇宙・・・
→あ、地球。みんなどうしてるかな・・・
→あー、帰って速攻、就活かー
→マック食いてー
→いかん、いかん、無、無、無・・・
→いやいや、無じゃない、無じゃない・・・
・・・と、こんな煩悩のスパイラルですよ。
いかんなーと思い、和尚さんに相談しました。
僕:「和尚さん、煩悩だらけで無になれません。」
和尚:「人間が無になんかなれないですよ。考えていいから、ただ、ひたすら45分坐っていなさい。」
ふーん、そうなのか。
いや、そうである。皆さん、45分じっとしてられますか??これが結構キツイ。
金曜日の「坐禅会」となると、これを3セットだからそりゃあキツイ。
初めての坐禅会の時の事でした。
二本目終了の時点で足は限界、経行(堂内をゆっくり、ゆーっくり歩く)の時もヨタヨタになっていました。
―そして未知の三本目。
もう始めから痛いさ。(痺れは我慢できるが、骨と骨の当たりや、関節の痛みは激痛)
痛みで顔は歪み、ギリギリと歯を食いしばり、頭痛すらおぼえてきたその時、
静寂を破って和尚さんの穏やかな声が道場に響きました。
「足はだんだん痛くなる。
もう、考える事も無くなってきた。
ただ、坐っていなさい。時間まで坐り続けなさい。
三本目、ここからが本当の禅です・・・。」
鳥肌が立ちました。
FF4で最期のボスの時に仲間が全員登場するシーンを思い出し、この曲が頭で流れ始めました。
何故か感動して涙が溢れてきました。
すると、不思議と足の痛みが引いたんです!(マジ)
まあ、それも5分ともちませんでしたが。
あらあら、長くなってきたので、2回に分けましょうかね・・・
でわでわ。