村上春樹「1Q84」第三部が来夏出版予定っぽい。
今朝の毎日新聞社の単独インタビューにおいて、村上春樹氏が「1Q84」の第三部を執筆中であることを明らかにしました。
やはり出ますか!しかし来夏とは待ち遠しいぞ。来夏になったら1部と2部の内容かなり忘れてしまってますよたぶん。
(以下少しネタバレあるので読んでない人は読まないほうがいいかも。でもそんなにネタバレってほどネタバレしてないけどね。)
物語の中で、17歳の少女「ふかえり」が書いた小説「空気さなぎ」の書評として、以下のような一節があります。
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「物語としてはとてもおもしろくできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していくのだが、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何かということになると、我々は最後までミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままになる。あるいはそれこそが著者の意図したことなのかもしれないが、そのような姿勢を〈作者の怠慢〉と受け取る読者は決して少なくないはずだ。この処女作についてはとりあえずよしとしても、著者がこの先も長く小説家としての活動を続けていくつもりであれば、そのような思わせぶりな姿勢についての真摯な検討を、近い将来迫られることになるかもしれない」と一人の批評家は結んでいた。
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この書評に対して主人公の1人である天吾(空気さなぎを綺麗に書き直した人物でもある)は、
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それを読んで天吾は首をひねった。「物語としてはとてもおもしろくできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していく」ことに作家がもし成功しているとしたら、その作家を怠慢と呼ぶことは誰にもできないのではないか。
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と擁護しているところがあります。
BOOK1(第1部)とBOOK2(第2部)を読み終えても、「空気さなぎ」や「リトルピープル」については、説明付けられてそうでいて、でもやはりどこか小説中の書評と同じように疑問符が残りました。
村上春樹氏はこの書評とそれに対する天吾の擁護を「1Q84」自体への批評への擁護を自分でやっているのかと思いました。いわゆるコンピューター分野で言うところの、言語を記述するための言語であるメタ言語や、プログラムを生成するためのプログラムであるメタプログラミングならぬ、小説を書くことを書いた小説という言わばメタ小説的な技法を使って。(ちなみにうちのホームページもマークアップ言語であるHTMLを生成するために、PHPという言語を使っているというメタプログラミング技法で作ってるんですよ)
しかし、村上春樹ほどの小説家がわざわざそのようなことまでして自作を擁護するようなことがあるのかというのはとても疑問でした。しかも上巻、下巻ではなく第1部、第2部になっていますし、終わり方も続きがあってもおかしくないような終わり方。
さらに以前「1Q84」執筆中の村上春樹氏が毎日新聞のロングインタビューの中(リンク貼ろうと思ったら、もうリンク切れになってました。残念)で、自身の最長編である「ねじまき鳥クロニクル」を超える長編小説を書いていると語っていましたので続きがあるだろうと推測していました。読者の中にも「BOOK1とBOOK2で完結派」の人もいれば、わたしと同じように「続きがある派」ももちろんたくさんいました。
そして、この来夏第3部出版の発表!
でも上記毎日新聞の単独インタビューを読んであれ?っと思ったのは、当初はBOOK1とBOOK2で完結したと考えていたと語っていたところ。わたしはすでに第3部も用意されているとばかり思っていましたから。
BOOK1とBOOK2を出した後に、村上氏自身が続きを書いてみたいと思ったというのはちょっと意外でした。
以前雑誌かエッセイか何で読んだか忘れましたが、村上氏は小説を書くときにゴールを設定しないと言っていました。ただ「ゴールは設定していないが、その物語は必ずいい着地点に着地するという確信はある」という感じのことが書かれてあった記憶があります。
現在「1Q84」BOOK3を執筆中であるというならば、おそらくまだ村上氏自身の中にも、青豆や天吾や空気さなぎやリトルピープルが最終的にどうなるかゴールが見えていないのかもしれません。ただ続きを書き始めたとすれば、それは最後にきちんと着地する、あらゆる疑問へのアンサーを示すことができるという確信と、さらにはインタビュー中でも語っている物語の持つ「善き力」をもって読者の心を揺さぶる作品が醸成されることへの確信も持てたからなのではないかと思います。
BOOK3が出版される予定の来夏が待ち遠しいですが、「1Q84」のBOOK2を読み終わったときの「あー、楽しみを一つ楽しみ終えて寂しい」という気持ちからまた「待ち遠しい」という気持ちになれるので嬉しいですね。
期待してます。