1日半にもおよぶ空路移動による疲弊と、空気の薄い標高3400メートルの高地にいるという状況からなのか。軽い頭痛がしていた。時差ボケもあるのかもしれない。倦怠感があり、カリー(カレー)を食べたいという欲求が沸かないのだ。
どうしたものか。。。
36時間前、私は福岡空港で成田行きの便の出発を待っていた。今回のカリー(カレー)調査の目的地はペルー共和国。私にとって初の南米大陸である。
ここでまず、なぜ今回ペルーを目的地に選んだかを説明しておこう。
我々Curry Crew は日頃より、近場から遠い海外にいたるまでいろいろな土地のカリー(カレー)について調査を行っている。調査方法としては書籍や人伝の情報もあるが、基本的にはネットからの情報収集が主なのだ。
数ヶ月前から私は中南米地域のカリー(カレー)事情を調べていたのだが、あまり目を惹く情報を見つけることができないでいた。以前アメリカ合衆国を周遊した際にもほとんどカリー(カレー)を目にすることがなかったことを思い出した私は、もしかするとアングロアメリカ、ラテンアメリカともにカリー(カレー)の文化が発達していないのではないかという疑念を持つようになったのだ。
ここは一つ現地に赴いて自分の足と目で確認するしかない。南米のどの国にしようかと迷ったが、「カリー(カレー)」に字面が似ている「ペルー」に決め、早速航空券を手配した。
福岡から成田に飛び、前回叶わなかった中森明菜の名曲「成田空港北ウイング」からアメリカのアトランタへ飛び立つ。
飛行機の燃料の関係で南米へは直接日本から行くことができない。
アトランタで数時間待った後、ペルーのリマへと移動、リマの空港で夜を明かしたあと、早朝の便に乗り、ついにインカ帝国の旧都クスコへ到着した。
街の中心部アルマス広場からほど近い安宿に拠点を置くことに決め、長旅の疲れを癒すためにもベッドで一休みしたいところだったが、せっかく朝早く到着したので体に鞭打ち早速カリー(カレー)探索に出ることにした。
しかし困ったことにカリー(カレー)を食べたいという気になれない。やらなければならないことはわかっているのに体がそれについてこないのだ。仕方が無いので、実食は明日にまわすことにし、今日はこの街のカリー(カレー)事情について調査のみ行うことに決めた。
まずは街行く人々への聞き込みからはじめることにしたのだが、実は今回の調査において私は一つ大きな問題を抱えていた。
ここペルーでは約400年前にスペイン人に侵略されて以来、人々はスペイン語を公用語として話すようになっており、英語が全く通じないのだ。対して私はスペイン語が全く話せない。出発前から、現地に入れば辞書があったとして単語はわかっても会話にならないだろうと予想していた私は、カリー(カレー)調査にとって必要最小限のセンテンスを事前に確保しておかなければならないと考えた。
そこで私は妹にスペイン語でのいくつかのカリー(カレー)センテンスの翻訳を依頼した。幸いなことに私の妹は大学時代、スペイン語学科に在籍し、スペインにも留学していたことからスペイン語が流暢に話せる。
ここで依頼したスペイン語でのカリー(カレー)センテンスを紹介しよう。
まずは会話をはじめるきっかけとなるセンテンスをいくつか。
Vine a Peru para buscar un buen curry.
(私は美味しいカリー(カレー)を探しにペルーに来ました)
Me gusta el curry.
(私はカリー(カレー)が好きです)
Le gusta el curry ?
(あなたはカリー(カレー)が好きですか?)
Me gusta el curry de pollo.
(私はチキンカリー(カレー)が好きです。)
こういったセンテンスでまずは相手に親近感をいだかせる。
そして聞き込み用の質問はこれ。
Conoce un restaurante donde sirvan buen curry cerca de aqui?
(この近くに、おいしいカリー(カレー)を出すレストランを知りませんか?)
お店に入ってからのセンテンスには、
Cual es curry?
(カリー(カレー)はどれですか?)
Que rico curry!
(何て美味しいカリー(カレー)なんだ!)
Esta es la primera vez que comi curry tan malo.
(こんなにマズいカリー(カレー)を食べたのは初めてだよ)
といったように状況に応じたパターンを準備。
話が弾んできたら、
Ha estado usted en India?
(インドに行ったことはあるか?)
El curry de India es muy bueno.
(インドのカリー(カレー)はうまいぞー)
などの文で場を盛り上げる。
時に相手がこちらをバカにした素振りでも見せようものなら、
Como curry siempre todos los dias en Japon.
(私は日本では毎日カリー(カレー)ばかり食べているんだ)
Soy autoridad famoso de curry en Japon!
(私は日本でも有名なカリー(カレー)の権威者なんだぞ!)
で一喝する手はずだった。
さて、気だるい体をかかえてクスコの街を歩き始める。標高が高いせいもあり空気が澄んでいて空は日本のそれよりはるかに青い。色鮮やかな民族衣装を着たインディヘナの人たちがリャマを連れて歩き、街のあちこちからはフォルクローレが聴こえてくる。アンデスの音楽だ。
少しずつではあるが時間が経つにつれ体調も回復する傾向にある。空気が薄いため少し歩いただけですぐ息はあがるのだが。。。
街行く人々の中から、これぞと思った地元人を見つけては「私は美味しいカリー(カレー)を探しにペルーに来ました。この近くに、おいしいカリー(カレー)を出すレストランを知りませんか?」と聞き込みを行う。しかし何度尋ねても決まって「No(知らない)」と言われるばかりだ。
何度も聞き込みをするうちに、この土地には本当にカリー(カレー)がないのではないかとという不安がよぎる。時には「クスコにカリー(カレー)なんかあるわけないだろ」と言わんばかりにそっけなく「No」と言ってくる輩さえいるほどだ。そのような輩には去り際に「私は日本でも有名なカリー(カレー)の権威者なんだぞ!」と捨て台詞を吐いてやった。
聞き込みをしている中で、相手が何か複雑な話をスペイン語でしてきても、辞書と私が持っているセンテンスだけでは到底太刀打ちできず、もしかしたら有益な情報がその中にあるのかもしれないのだが全くわからない。
このままでは1杯のカリー(カレー)すら食べずに帰らなければならなくなる危険がある。それを恐れた私は現地人への聞き込みという調査方法を変更することにした。
街の中心部アルマス広場のすぐそばに「Pucara」というニンニクスープが美味しいと評判の日本人が経営しているレストランがある。言葉の壁が予想以上に大きいと感じた私は、そこの日本人オーナーからクスコのカリー(カレー)事情を日本語で聞くことにしたのだ。
「Pucara」に入る。床、テーブル、椅子、カウンターに至るまで茶色く塗られた木が使われていて落ち着いた雰囲気のレストランだ。中途半端な時間だったこともあり客は1人もいない。
席に着くと日本人のオーナーがキッチンから出てきた。まずメニューにカリー(カレー)はあるかと尋ねたが、残念ながら「ない」と言われた。カリー(カレー)に似ていると言えば「Aji de Gallina」というチキンクリームソースがご飯にかかった料理があるということだったのでそれとニンニクスープを注文する。
客が1人もいなかったためオーナーとゆっくり話ができた。私が日本からカリー(カレー)を求めて来ペルしていることを伝えると、実はそのオーナーも大のカリー(カレー)好きだということだった。家ではもちろんカリー(カレー)も作るらしく、本当はインドにいるはずだったのになぜかペルーでお店をやっているのだとか。
聞けば、ペルーではあまりカリー(カレー)は食べられないということだった。現地に住む人からこうやって直接その事実を突きつけられるとやはりショックは隠せない。さらに詳しく聞くと、カリー(カレー)を作る上で必要な香辛料のほぼ全てがペルーで手に入るらしいのだが、一つだけ「カルダモン」という香辛料が手に入りにくいという。
私もカリー(カレー)の香辛料についてある程度知識を有しているから分かるのだが、カルダモンがないということはカリー(カレー)を作る上でかなり致命的なことなのだ。このことがペルーのカリー(カレー)文化発展を阻んでいる一つの大きな理由ではないかとの見解だった。
なるほど、とても重要な話を聞くことができた。やはりこういう込み入った話は日本語でなければ難しい。
一通りカリー(カレー)に関する話を済ませ、注文していた「Aji de Gallina」が出てきたので食べるが、オーナーも言っていた通り、見た目がカリー(カレー)なだけで全くカリー(カレー)ではなかった。
「Pucara」を出てまたしばらく街を散策し宿に戻る。
1日調査をしたが1つの有力なカリー(カレー)情報すら手に入らないばかりか、ペルーでカリー(カレー)はほとんど食べられないという事実がわかっただけだった。
ベッドに横たわりながら明日からの行動をどうしようかと悩んでいたところ、同じ部屋に泊まっていたバックパッカーから宿の情報ノートを見たらどうかと提案された。バックパッカーが泊まる安宿には情報ノートというものが存在する。その街についてや、近隣の名所、隣国への行き方、隣国情報などについて、その宿に泊まった旅人が思い思いに書き込むノートだ。
部屋を出てロビーに行き情報ノートを見てみる。するとあったのだ、カリー(カレー)に関する日本語での有力な情報が。
「どーしてもどーしてもカリー(カレー)が食べたいっっ方へ」と題して書かれたそのページには、「al grano」というアジア料理専門のカフェで美味しいカリー(カレー)が食べれることが記されていた。
次の日、早速情報ノートに記されていたレストラン「al grano」を訪ねた。
応対した店員にすぐさま「私は美味しいカリー(カレー)を探しにペルーに来ました。私はチキンカリー(カレー)が好きです。カリー(カレー)はどれですか?」と持ちネタのスペイン語で聞くと、何やらわけのわからないスペイン語を言いながらメニュー表を指差した。
そこには「MALASIA: Curry de pollo en coco tostado」と書いてある。polloはチキン、coco tostadoはココナッツなので、ココナッツチキンカリー(カレー)といったところだろう。マレーシアのカリー(カレー)のようだ。
本当はペルー特有のカリー(カレー)を食べたいところだったが、メニューを一通り見る限りそういうのはなさそうだったので、その言われたカリー(カレー)とコカ茶を注文した。
情報ノートにアジア料理専門のカフェと書いてあったように、アジア各地の料理がメニューを彩っている。カリー(カレー)についても同じでアジア各地のカリー(カレー)が食べられるようだ。最初にインドのチャパティみたいなパンと2種類のソース、それとヨーグルトが出てきた。
続いてメインのチキンココナッツカリー(カレー)が登場。ようやくここペルーでカリー(カレー)にありつけた。私はマレーシアカリー(カレー)というものを食べたことがなかったが、チキン、ブロッコリー、にんじん、トウモロコシ、グリーンピース、そら豆が入った見た目は野菜豊富なカリー(カレー)といった具合だった。
食べてみる。これがなかなかうまい。見た目とは違って結構辛くマレーシアというだけあってアジアンな香辛料の味が強い。ココナッツベースのカリー(カレー)が野菜とよく調和していて、別のお椀に盛ってあるご飯を混ぜながら食べても、パンと一緒に食べてもよく合う。
気分を良くした私は、ラテン気質の陽気な店員さんに「私は日本では毎日カリー(カレー)ばかり食べているんだ。インドに行ったことはあるか?インドのカリー(カレー)はうまいぞー」とスペイン語で伝えると、
店員さんは「おーそうか、オレだってカリー(カレー)のことなら負けやしねぇぞ、毎食カリー(カレー)しか食べないくらいだ。オレの血はカリー(カレー)でできているようなもんさ」とでも言っているように、わけのわからないスペイン語でベラベラ答えてくれた。
食べ終わった後、友好の印に一緒に写真撮影をして店を出た。
ペルー初のカリー(カレー)はなかなかの味だったが、どうも満足しない自分がいる。結局のところ今食べたのはマレーシアのカリー(カレー)であって、これなら日本でも探せば食べられると言うもの。やはり私が求めているのはペルー独自のカリー(カレー)、インカ帝国の末裔が生んだアンデスのカリー(カレー)なのだ。
私はそれをクスコで見つけることは困難だと判断し、次の目的地にアグアス・カリエンテスを選んだ。そこは古代インカの民がスペイン軍の侵略から逃れながら築き上げた謎の天空都市「マチュピチュ」の麓にある小さな村。
かつてはマチュピチュこそがスペイン人の手の届かないジャングルの奥地に作った秘密基地ビルカバンバであるという説が有力だったのだが、最近では別の場所にあるというのが定説のようだ。
しかしペルーの中でも最もインカ帝国の歴史が色濃く残された土地の一つであることは間違いない。そこにあるカリー(カレー)こそがインカのカリー(カレー)であるはずだ。村の名前に「カリ」が入っていることからも期待できる。
すぐにアグアス・カリエンテス行きの列車のチケットが売ってあるワンチャック駅に行き手配する。
カリー(カレー)調査用のスペイン語センテンスはしっかりと準備してきたのだが、肝心の旅でよく使う必須スペイン語会話を準備してくることをすっかり忘れていたため、チケットを手配するだけでも会話に難航したのだが無事とれた。
明朝早くアグアス・カリエンテス行きの列車に乗り込む。
クスコの街を囲む山をつづら折のように登りながら越え、のどかな田畑や、ウルバンバ川沿いの渓谷を抜けながらゆっくりと列車は進む。
そして約4時間の列車の旅の末、アグアス・カリエンテスに到着した。
適当な安宿にチェックインし、インカの風を感じるために一先ずマチュピチュ遺跡を探訪。
モチベーションを上げたところでマチュピチュから村に戻り、温泉で身を清めてから村の中心部のレストランがたくさんある辺りでカリー(カレー)を探すことにした。
宿で一緒になったアメリカ在住の日本人大学生のハヤトも同行。聞くところによると飯が不味いアメリカ生活に辟易しているハヤトはペルーの料理がものすごく気に入っているらしい。
さすがはペルーきっての観光名所だけあって、村の中心部はレストランの客引きでにぎやかだ。客引きに「私はチキンカリー(カレー)が好きです」とスペイン語で言うと、「pollo curry, pollo curry!(チキンカリー(カレー))」と言って店の中へ促す。何回かそれを繰り返してみても、かなりの数のレストランでカリー(カレー)をおいているようだった。
ここのように特に欧米人に人気の観光名所としてコマーシャライズされている土地の場合、レストランで出される食事もまた欧米化しているところが多い。現地ならではの食事を求める際には厄介な問題だ。
クスコの宿にいたバックパッカーから、アグアス・カリエンテスに住む地元の人たちが行くレストランが多くあるエリアが、中心部から少し離れた場所にあるという話を聞いていたのでそこにも行ってみたのだが、閉まっていたり電気がついていなかったりしたので、やはり中心部で済ませることにした。カリー(カレー)をおいていると客引きが言う適当な店「Yakumama-Gril II」というところに入る。
陽気な店員にチキンカリー(カレー)とピスコサワーを注文して待つ。
しばらくして出てきた皿にギョッとした。焼きバナナが乗っている。これが果たしてインカのカリー(カレー)なのか。
内容はというと、メインのチキンがホワイトソースをベースにしたようなカリー(カレー)にからめてあり、サイドのライスには干しぶどう、グリンピース、ピーマンが混ぜてある。そして大きな焼きバナナが1本まるまる添えてあるのだ。
私は甘いカリー(カレー)があまり得意ではない。辛くて旨みのあるカリー(カレー)が好きなのだ。まぁでも見た目で判断するのはよくない。とりあえず笑顔で食べてみよう。
恐る恐る口に運んでみると、案の定甘かった。
一応カリー(カレー)の味はするのだがかなり甘ったるい。甘いホワイトシチューを食べているようだ。なんだこれは。はっきり言って不味い。これがインカの民が作るカリー(カレー)だとは到底思えない。ここペルーで、カリー(カレー)1杯s/.27(ソーレス)(日本円にして約1000円)もする。
明らかに欧米人ツアリスト擦れした金儲け主義の人間が作る商業カリー(カレー)だ。何回か口に運んだ後すっかり食べる気をなくし、少々憤りを感じていたので通りかかった女性店員に向かって「こんなにマズいカリー(カレー)を食べたのは初めてだよ。日本では毎日カリー(カレー)ばかり食べているんだ。私は日本でも有名なカリー(カレー)の権威者なんだぞ!」とスペイン語で捲くし立ててやった。
ラテンなノリの店員は、そんな言葉をもろともせず、笑いながら「アミーゴ、そんなこと言わずにいっちょピスコサワーでも飲みなよ」とでも言っているかのように陽気に話しかけてくる。
まったく人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。こんなことなら「カリー(カレー)味のうんこでも食ってお寝んねしやがれ ファック野郎!」くらいのパンチの効いたスペイン語くらい用意しとくんだった。
ラテンアメリカの気質に押し負かされた私をさらに呆れさせるように、テーブルの前ではアングロアメリカ在住の大学生ハヤトが私が食べ残した甘ったるいチキンカリー(カレー)を「美味い美味い」と言いながら食べていた。
どうやら食事がまずいアメリカ生活に慣れてしまった彼は、完全に舌が欧米化してしまい、今では何を食べてもほとんど美味いと感じてしまうらしいのだ。数分足らずですっかり平らげてしまった。
インカ文明の息吹を微塵も感じることはなかったマチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスでのカリー(カレー)。今回のカリー(カレー)の旅はなんとも不発に終わりそうな気配を残しながら、列車でクスコへと戻る。
同じ安宿に宿泊していた日本人バックパッカー(ノリとタケちゃん)と共にクスコの夜道を歩いているとき、1人のペルー人に出会った。名前をリチャルドという。
突然「ひさしぶりー」と日本語で話しかけられたのだ。日本語で話しかけてくる現地人というのはほとんどの場合、胡散臭い人間か客引きと決まっている。しかし「ひさしぶりー」の後に出てきた日本語があまりにも流暢だったので疑いながらもいろいろと話をしているうちに、それほど怪しい人間ではないような気がしてきた。日本に今住んでいてバケーションでペルーに帰ってきているらしい。
日本語が堪能な現地人ということでカリー(カレー)のことについていくつか聞いてみた。ペルー人はカリー(カレー)は食べないのかという質問に対し、「ペルー人、カリー(カレー)食べるよ」という。作ったことあるかと聞くと「もちろん作ったことあるよ」と。
さらに話していくと、どうやら我々と同じ日にリマに住むお兄さんのところに行くということだったので、今回のカリー(カレー)調査があまりうまくいっていないこともあり最後の賭けで次のようにお願いしてみた。
リマで泊まらせてくれないか、さらに夕飯にペルーのカリー(カレー)を作ってくれないかと。
するとリチャルドは「あーいいよ、泊まっていいよ。オレがカリー(カレー)も作るから」と軽く快諾してくれた。連絡先を聞き、リマに着いたら連絡すると伝えた。
一人であればこういった突然会った現地人の家においそれと行くのは少々危険が伴うのでそうやらないが、今回は私のほかに同じ宿にいた日本人男性バックパッカーのノリとタケちゃんも一緒に行くことになったので、ある程度安心できる。
もしかしたら一般家庭の食卓に並ぶペルー独特のカリー(カレー)が食べられるかもしれない。そんな期待を胸に、クスコから空路リマへと移動した。
リマについてすぐにリチャルドに電話し、街の中心部で待ち合わせする。
今晩泊まらせてもらうのはリチャルドのお兄さん夫婦のお宅。
ミラフローレス地区の南にある住宅街にあった。途中大き目のスーパーマーケット「Metro」で夕飯のカリー(カレー)の食材を調達。
米、じゃがいも、トウモロコシに鶏肉、そしてカボチャを購入した。
最初はリチャルドが作ると言っていたカリー(カレー)も、結局リチャルドはベッドでゴロゴロとテレビを見るばかりで、リチャルドのお兄さんの奥さんが作ることになった。
私は奥さんのわきでペルーカリー(カレー)ができあがる様を見ることにした。
まず、カボチャとトウモロコシとジャガイモを切って水に浸しておく。
油を敷いてニンニクと玉ねぎをいため、香辛料を入れる。
水と牛乳と塩を入れる。
水に浸しておいたトウモロコシとジャガイモを入れて煮る。
次にワカタイと呼ばれる野菜と水を入れて少々煮る。
さらに鶏肉を切ってその中に入れ、続いてカボチャも入れる。
常にしゃもじでグルグルと混ぜながら火を通す。
水気が少なくなってきたらチーズを入れてまた少し混ぜるとできあがりだ。
皿にご飯を盛り、その脇にできあがったばかりのカリー(カレー)をかける。
食卓に人数分並べ終わったところで早速「いただきます」と手を合わせて口に運ぶ。
美味い。それほど辛くなくどちらかというとカボチャの甘味が感じられるほどなのだが、その甘味もいやらしくない甘さだ。ワカタイの葉が独特のアクセントを与え、日本のものよりも大きなトウモロコシの粒がじゃがいもと共に旨みを出して全体の味を支えている。
これぞまぎれもなくペルー家庭の母の味。最後の最後にようやくありつけたインカの民のカリー(カレー)だ。
一緒に食べたノリとタケちゃんも満足げな様子である。
カリー(カレー)を作ってくれた奥さんに「Que rico curry!(何て美味しいカリー(カレー)なんだ!)」と賞賛の言葉を伝えると、恥ずかしそうにうなずき微笑んでくれた。
我々が夕食を済ませ皿を洗っていると、今度は子供たちが食卓を囲んだ。
とてもニコニコしながらカリー(カレー)を食べている。夕飯がカリー(カレー)のときはどこの国の子供も幸せそうだ。
最後にリチャルドに聞いた。どのくらいの頻度でカリー(カレー)が食卓に並ぶのかと。
「あー結構作る作る。日本と同じくらいだな」
リチャルドは結構適当なため本当のところはよくわからないが、見た目は違えど、ペルーでもちゃんとカリー(カレー)が食べられているようだ。
一時はどうなるかと思った今回のカリー(カレー)の旅。途中で出会ったリチャルドと、リマで見ず知らずの我々を泊めてくれ、さらにカリー(カレー)まで作ってくれたリチャルドのお兄さん夫婦に感謝したい。
さて、次はどこのカリー(カレー)店に出撃しようか。。
文 : Mar