ブーマーさんを覚えているだろうか。そう、昨年夏に東京ミッドタウンでのカリー(カレー)調査に同行してもらった美食研究家で昔ブタのように肥えていたあの彼だ。
2月の寒々しい夜分遅く、彼から1本の電話が入った。近々東京に出張してきてくれないかとの依頼である。
聞けば、カリー(カレー)激戦区東京において、その暴力的な味をもって確固たる地位を確立した有名カリー(カレー)店「もうやんカレー」に弟が就職したというのだ。是非とも弟が作る「もうやん」の味を確かめて欲しいと。
私は東京に住んでいた頃「もうやんカレー」を一度訪れたことがある。その容赦ない味とカリー(カレー)食べ放題というシステムに衝撃を受けたことを今でも覚えている。
あれからもう数年経った。「もうやん」の名前を聞くとまたあの味が恋しくなり、久々に食したいという欲求をマサラの記憶がそそのかす。何より今回は友人のたってのお願いだ。断る理由などない。
早速次の週末の夕方、福岡空港から羽田へと飛んだ。
羽田に着くなり、ブーマーさんに連絡を入れる。どこかで落ち合って「もうやんカレー」へと直行する予定だった。
しかし電話口に出たブーマーさんはどこかイラついた様子で愚痴をこぼし始めた。どうやら何かトラブルが起こったようなのだ。
「あのトンカツ屋の油の温度が低すぎるから衣があんな風になるんだ」とか何だとか、とにかくブツブツと悪態をついている。
すぐに解決するような問題ではないようで、自分から呼んでおいて非常に申し訳ないが今日は一緒に「もうやん」には行けそうにないとのことだった。明日朝また連絡するという。
その時私はすでに「もうやん」モードだったので、食べれないのは非常に残念だったが、ブーマーさんの弟が働いていることもあり、自分ひとりで行くのもなんだったので、その日は諦めることにした。
次の日の朝、ブーマーさんから電話が入った。何と昨日中にケリがつかなかったらしく、今日もいつ動けるか目処がつかないと言うのだ。
「味噌ダレの味噌の比率があんなに高かったら、あのロースカツに合うわけないんだよ!」とか何だとか、昨日に引き続き一人でブツブツと悪態をついている。問題が片付いたらすぐに連絡すると言ってブーマーさんは電話を切った。
好んで起きたトラブルではないのだから仕方ない。今日は自分一人で「もうやん」に行ってみるかと思いながら、ぼんやりとテレビを見ていたところ、ニュースでとある特集をやっていた。
いま巷を騒がせている中国製冷凍食品「メタミドホス混入事件」だ。
ギョウザを中心とした中国製の冷凍食品にメタミドホスやらジクロルボスやらの殺虫剤成分が検出されている例の事件である。主婦がインタビューに対して「もう冷凍食品は買いません」などと答えていた。
それを見ながらふと思った。本当に冷凍食品だけなのだろうか。我々が日々求めて止まないカリー(カレー)への混入は大丈夫なのだろうか。
今年は北京オリンピックも開催される。その中国でカリー(カレー)に殺虫剤が混入されていたなどと報道があれば、我々の活動拠点である日本のカリー(カレー)の将来にも大きな悪影響を与えかねない。
以前、和歌山でカリー(カレー)毒物混入事件があったが、もしもの場合はあれ以来の衝撃になることは避けられないだろう。これは念のために現地調査しておく必要がある。
私はすぐに支度をし、急行電車で成田に向かった。
昨年は上海へ調査に行った。今年はオリンピックも開催されることだし、世界中から様々な人種が集まる夏に向けて、北京市内がこの時点でカリー(カレー)的にどの程度成熟しているのかも知りたかったので北京行きの便を手配する。
メタミドホス事件の影響か、幸い席に余裕があった。
出発までまだ少し時間があったので、北京用カリー(カレー)T-Shirtを特別に用意することにした。
この時期の北京の平均気温は東京よりも低い。T-Shirtでは寒すぎるだろうということで、昨日ユナイテッドアローズ原宿本店で購入したロンTをカリー(カレー)T化することにした。
黒のマジックを買って「我愛カリー(カレー)」(カは口偏に加、リーは口偏に厘)とドローイングする。即席にしてはなかなかカッコよく出来上がった。
中国はもはや途上国ではない。今や世界中のお金持ちも認めるほど北京はオシャレな街へと変貌を遂げた。ロンT一枚にも気が抜けないのだ。
出来立てのT-Shirtに身を包み、飛行機に乗り込む。4時間ほどの空の旅を経て北京へと到着した。
バスでダウンタウンへと移動し、北京駅の目の前にあるユースホステルで空きのベットがあるか聞く。旧正月が明けて3日目だったが運よく空いていたのでチェックインし、すぐにカリー(カレー)調査へと街に出た。
まずは、天安門広場近辺で聞き込みを行う。行き交う人々にT-Shirtを見せながら、「我愛カリー(カレー)」と宣言し話をしようと試みるが、全く相手にされない。
いつも感じることだが、こういった時にフレンドリーな中国人を私は見たことがない。これは国民性なのか、日本人が嫌われているのか、あるいは単にカリー(カレー)に興味がないのかはわからないが、どこか冷めた表情をしている。
話しかけるときのセリフを「我愛毛」(私は毛沢東が大好きです)に変えてみたが結果は同じだった。
天安門をくぐって少し歩くと、小さな人だかりがあった。近寄ってみると、お湯が出る大きなタンクの周りをカップラーメンを持った人たちが囲んでいる。「牛肉麺(にゅーるーめん)だ」と直感でわかった。
誰もが北京の食べ物と聞いてまず真っ先に思い浮かべるのは北京ダックだろう。しかし北京ダックは高級品のため、庶民が普段毎日食べるようなものではない。北京の人にとって一番身近でいつも食べているのが牛肉麺なのである。牛肉が入ったラーメンと思ってもらうとわかりやすい。
街には牛肉麺屋がたくさんある。カップラーメンの牛肉麺すらこんなに人が群がるほど市民に愛されているとは。これはカリー(カレー)の出る幕はないのではないかと不安がよぎる。
牛肉麺をすすっている女性に「ハオチー?(うまい?)」と尋ねると、こくりと頷いてくれた。
念のために牛肉麺を指差しながら、「メタミドホス混入?」と聞くと無視された。
天安門を後にした私は、王府井大街というところに移動した。ここは北京の銀座と呼ばれる昔からの繁華街である。ここならカリー(カレー)もあるだろうと思い探し歩く。
しかしなかなか見つけることができない。屋台が立ち並ぶ一角にも足を運んでみたがそこにもカリー(カレー)なんかおいている店は皆無だった。
やはり北京ではカリー(カレー)は 市民権を得ていないのかと半ば諦め気味に歩いていたところに、フードコートの客引きの若い女の子が目に入った。客引きだからか、中国人にしてはフレンドリーのように見える。
そのコにT-Shirtを見せながら「我愛カリー(カレー)」と言って、フードコートにカリー(カレー)がないか適当なジェスチャーで聞いてみた。
すると少し考えて、「あ、あるある」と言うような仕草をして、フードコートに出店している店の看板を指差す。
そこには大きく「吉野屋」の文字があった!
後半に続く。。。
文 : Mar